鷹の道

大学に通っています。中国政治・外交を勉強中。野球を見ます。ソフトバンクホークスを応援することかれこれ14年。

新しい中世

コンスタントに書くんだ、との意気込みで始めたはずが、わずか2,3本書いたっきりほったらかしにしておりました。久々に開いてみたらamazonの広告が上に出ている有様。そのまま放置することも出来たわけですが、せっかくなので今日読んだ本について。

 

 

 日本を代表する国際政治学者、田中明彦先生の代表作。

日本の国際政治の教科書ではしばしば言及される本書ですが、読もう読もうと思いつつ今まで通読できずにいました。先月に講談社学術文庫から発刊されたのを機にようやく手に取ることが出来ました。

 

教科書で「新しい中世」について言及されるのは専ら"冷戦後の国際政治の枠組み"について。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』と並んで語られます。

冷戦終結によってイデオロギーの対立に終止符が打たれ、自由主義が最終的な勝利を収めたとする『歴史の終わり』に対して、『文明の衝突』はイデオロギー対立の後には文明単位の争いが顕在化し、決して終局的な平和は到来しないと反論。

どちらが正しい(正しかった)かを評価するのは難しい、というかどちらもある意味において正しいのです。『文明の衝突』は発表当時多数の批判に晒されたものの、冷戦後のユーゴスラビアでの紛争、9.11同時多発テロなどを見るに、ハンチントンの議論は特定の地域において妥当しているように感じられます。このような事例を見ると『歴史の終わり』に妥当性を見いだせなくなりそうですが、ヨーロッパにおけるEUの拡大、東南アジアにおけるASEANの拡大を前にすると、自由主義イデオロギー勝利が平和を導出している、という議論も頷けます。いわゆるデモクラティック・ピースがアメリカの対外政策に応用されたのも90年代のことです。尤も、デモクラティック・ピースはあくまで19世紀のカントの議論の有意性を統計的に示したものであり、自由民主主義を平和と直結させて外交政策に応用するのは必ずしも適切とは言えないのですが。

 

 

そして本題の『新しい中世』です。極めてザックリ言うと、相互依存が進み、非国家主体の影響力が増した世界はかつての中世に近似している、という議論です。

中世という発想自体は完全に田中明彦オリジナルというわけではなく、英国学派の代表格ヘドリー・ブルがすでに議論していますが、田中は中世という概念を冷戦後世界という文脈に沿って説明しています。

田中は世界を「新しい中世」への移行段階であると述べ、世界を第一圏域(新中世圏)、第二圏域(近代圏)、第三圏域(混沌圏)に分類している。成熟した自由民主義体制を有し、安定した市場経済を有する国家を第一圏域、政治的に無秩序で、経済が停滞、混乱している国家を第三圏域、それ以外を第二圏域と定義。第一圏域は新中世に到達しているが、第二圏域はその条件を十分には備えておらず、19世紀~20世紀前半にかけての国民国家の原理が機能していると言う。

第一圏域内では国家の存在感は後退しており、相互の信頼に基づく国際関係が構築されると言う。これはフクヤマ的議論ではないだろうか。第二圏域内、または第一圏域と第二圏域では依然従来の近代国家観に基づく外交が続いており、軍事力も含めた多様な外交手段が取られうる。

 

 

さて、読後の所感をここに記しておきます。

「新しい中世」というモデル自体は頷けるところが多いです。国際法の存在というのが中世と現代(新中世)の大きな相違ではないかと思いますが、中世においてはキリスト教の存在が現代の国際法に準ずる役割を果たしていた可能性を指摘できそうです。

モデルはさることながら、個人的に気になったのは3つの圏域のうちの第二圏域の広さです。政治、経済指標の数値を用いて分類を行っているのですが、第二圏域にはかなり多様な国家が同居しています。20年前のデータですが、シンガポール北朝鮮が同じ第二圏域に属しています。もちろん個別の政策論をするときには各々の事情を考慮するわけですが、この広さは理論枠組みとしてはやや粗いと言わざるを得ません。

 

そして、ナショナリズムについてです。田中は「『新しい中世』の国家にナショナリズムは必要ない」(p264)と述べていますが、現在の現実を見ると、中世化が進んでいるはずの先進国でも強いナショナリズムが台頭している様子が窺えます。おそらく、グローバリゼーションが深化した新中世の価値観を受容した人々、即ちいわゆるリベラルの人々はナショナリズムについて「必要ない」と心底感じているのでナショナリズムを叫ぶ「極右」への拒絶を示すのでしょう。心情的にはとてもよく理解できるのですが、「必要ない」という理由で切って捨てるのは一種の思考停止なのかも知れない、と最近感じる次第です。

そういえば中世ヨーロッパでは封建制の下、身分の流動性に乏しい世界が広がっていました(いささか唯物史観的ですが)。

新中世に広がるナショナリズムの波。ここにヒントを求められるかも知れません。